今や、夏の生活に欠かすことのできない「冷房(エアコン)」。しかし、その歴史は、人類の長い歴史から見れば、ほんの瞬きのような期間に過ぎません。私たちの祖先は、何万年もの間、夏の暑さを、知恵と工夫、そして、体に備わった優れた体温調節機能で乗り越えてきました。それが、ここ数十年の間に、私たちは、いつでもどこでも涼しい環境を手に入れることができるようになったのです。この急激な環境の変化に、私たちの体は、まだ完全には適応しきれていないのかもしれません。「冷房病」は、まさに、この文明の利器と、私たちの原始的な体との間に生じた「ズレ」が引き起こした、現代特有の病と言えるでしょう。かつて、日本の夏は、縁側で涼んだり、打ち水をしたり、風鈴の音に涼を感じたりと、自然の力を借りながら、暑さを「受け流す」文化がありました。体も、暑さに順応し、上手に汗をかくことで、効率的に体温を調節する能力を持っていました。しかし、冷房の普及は、私たちの生活を一変させました。私たちは、暑さから「逃れる」ことができるようになり、汗をかく機会が激減しました。汗腺の機能が低下し、「うまく汗をかけない体」になってしまったのです。その結果、少し暑い場所に移動しただけで、体に熱がこもり、熱中症のリスクが高まるという、皮肉な状況も生まれています。さらに、問題なのが、冒頭でも述べた「過剰な温度差」です。自然界には、一日のうちに、これほど急激に、そして頻繁に、十度以上の温度変化が起こる環境は存在しません。私たちの体に備わった自律神経による体温調節機能は、本来、緩やかな自然の変化に対応するように設計されています。その設計思想をはるかに超える、過酷な負荷を、現代の私たちは、自律神経に毎日、強制しているのです。冷房病の蔓延は、私たちが快適さを追求するあまり、本来持っていたはずの、環境に適応する能力を、少しずつ退化させてしまっていることへの、警鐘なのかもしれません。冷房の便利さを享受しつつも、時には、窓を開けて自然の風を感じたり、適度に汗をかく運動をしたりと、私たちの体に眠る「野生の力」を呼び覚ましてあげること。それが、この現代病と上手に付き合っていくための、新しい知恵となるのではないでしょうか。