四十代も半ばを過ぎ、営業職として、毎晩のように取引先との会食で杯を重ねる日々。それが、私の日常でした。「酒は仕事のうち」と自分に言い聞かせ、強いと言われる酒を武器に、業績を上げてきました。健康診断で毎年、「γ-GTPが高いですね。お酒は控えるように」と言われ続けていましたが、「このくらい、どうってことない」と、全く意に介していませんでした。その日、異変は突然やってきました。朝から、経験したことのないような、全身を鉛で固められたかのような強烈な倦怠感。食欲は全くなく、無理に水を飲んでも、すぐに吐いてしまう。そして、体温は三十八度を超えていました。ただの二日酔いや夏風邪ではない、何か得体の知れないものに体を蝕まれているような感覚でした。鏡を見ると、白目のはずの部分が、明らかに黄色がかっている。さすがに「これはおかしい」と感じ、ふらふらの状態で近所の内科クリニックへ駆け込みました。クリニックの医師は、私の顔色と、黄色い目を見るなり、表情を硬くしました。すぐに行われた血液検査の結果は、衝撃的なものでした。AST、ALT、そしてγ-GTP、全ての肝機能の数値が、基準値を何十倍も超える、見たこともないような異常値を示していたのです。医師から告げられた病名は、「重症型アルコール性肝炎」。そして、「すぐに専門病院に入院して、集中的な治療が必要です」と、その場で大学病院への紹介状が書かれました。大学病院での診断も同じでした。即日入院となり、私の腕には点滴の針が刺されました。絶対安静と、もちろん、絶対禁酒。肝臓を保護する薬の投与と、栄養補給の点滴が、来る日も来る日も続きました。医師からは、「もう少し来るのが遅かったら、肝不全で命の危険もありましたよ。あなたの肝臓は、もう限界を超えて悲鳴を上げていたんです」と、厳しい言葉を告げられました。病室のベッドの上で、私は、これまでの自分の生き方を、ただただ後悔しました。お酒に強いことを誇り、体のサインを無視し続けた結果が、これでした。幸い、二週間の入院治療で、私の肝機能は危機的な状況を脱しましたが、完全に元に戻ることはありませんでした。あの日、私の「沈黙の臓器」が発した、最後の悲鳴。それを聞き逃さなかったことが、私の人生の大きな転機となったのです。
私がアルコール性肝障害で入院した、ある夏の日のこと